価値

■ プロの仕事 結果の担保としてのギャラ

Woman eating hamburger.

 

ギャラは要らないから使ってくれと言って来たデザイナーがいたそうです。
その結果たるや惨憺たるもの。しかし彼曰く 「タダだからこんなもんでしょ」。

ギャラはプロとしての職能を反映したものだと思っています。それを無しで良いというのは結果に責任を持たないよと言う事と同義。戦う前に逃げ道を確保し腰も引けている状態では勝てるべくもありません。
彼の言葉の裏には「タダなんだから私の好きなようにさせてよ」 というエゴも見え隠れします。
しかして結果も出ず。彼は出入り禁止となったそうです。

タダの代償は高いものとして自分に跳ね返ってきました。

かと言って、定価がある訳で無し。

デザインのギャラなんてものは訳の解らないものの代表です。ロゴマークひとつに¥5,000~¥500,000、いや一千万を超すものもある世界。高い安いの基準はどこにあるのでしょうか。

例えば、100円のハンバーガーを食べて不味いと感じたら100円返せと言いたくなるでしょう。10,000円のすき焼きで至福の時を味わえたならそれは価値ある10,000円になるでしょう。
5,000円のロゴマークで安い買物をしたと喜ぶ経営者も居れば、自社のマークに1000万投資した先に見える経済効果に期待を膨らませる社長もいる…

ギャラの高低は「デザインを導入する事によってもたらされるであろう経済効果」から算出されるものであるべきだと考えます。
「10万位の増収でいいや」とお考えなら10,000円の投資で良いでしょう。「10億の商売にしたい」場合の1,000万円はむしろリーズナブルな額だと思います。

クライアントは“結果を伴うか否か”で判断し、デザイナーは“頂いたギャラを10倍にしてお返しする”というくらいの気概が必要です。

デザイン料が“なんとなく”高いと思われている原因はデザイナー側にあります。自らが行ったデザイン行為がどれだけの対価を生みクライアントを満足させエンドユーザーを楽しませたか。そこを精査せずルーティンワークとして“デザインのようなもの”を垂れ流したツケは自らに返ってきます。

ギャラは責任と義務の対価である、と自戒の念を込めて記しておきましょう。

2011.11 朝日新聞の記事にこんなのがありました。

「千円もするコンビニ弁当、膨らまない蒸しパン――。農林水産省が後押しした「地域ブランド」の食品開発が失敗続きだ。5年間で約2億4700万円の国の補助金が使われたが、製造できなかったり、販売中止に追い込まれたり。6割の商品が目標に届かなかった。会計検査院が農水省に改善を求めた。

この事業は2005年度に始まり、農水省の出先機関である農政局の指導で、各都道府県につくられた「食料産業クラスター協議会」が主体になって進めた。地元の食品会社や大学のほか県職員らも参加。それぞれの土地の食材で地元業者が新商品を開発し、販路も開拓して地域の活性化につなげようとした。

検査院は32協議会について、05~09年度の新商品を調査。地元食材の使用量と商品の販売額を指標に目標達成度を調べた。

すると、173品のうち54品は製造・販売までたどりつけず、12品は製造・販売から3年以内に製造中止になった。これらを含む106品は材料使用量、商品販売額ともに目標の3割にも届いていなかった」。

開発に関わる人間のプロ意識、中でも結果(数字)を出すという意識があればこんな状況にはならないはずです。
責任の所在が明らかでない。身銭を切らない。お金の事を言うのははしたない事だと刷り込まれている。実態マーケットを知らない人がモノを作っている等など、個々のスキルも問題でしょうが指名権者の審美眼、いや審“金”眼が問われるところです。
年度が変われば愚行がリセットされてしまう仕組みも変えなくてはならないでしょう。

失敗は成功の基と言いますが、正確には“失敗を精査し反省した後に成功のチャンスが巡って来る”のです。ここで言う成功とは、努力に対する対価=売上増という狭義ではありますが。

開発側のモチベーションにも大きな問題があります。
「助成金を貰えるならやってもいいよ」とか「運転資金に充当してやろう」などという不埒な声も聞こえてきます。こんな意識ではイイモノが出来るはずがありません。

もう単にカッコイイだのキレイだといった評価は無くしては如何でしょうか。アカデミックな権威にすがるのも止しましょう。論をもてあそぶのもやめましょう。他人のお金をあてにするのも大概にしましょう。
下世話なようですが“売れてなんぼ”のマーケティングに徹して泥臭く。これで現状はかなり良くなるはずです。

※ マーケティング: 消費者の声を聞き、きちんと作り、正しく届けるといった一連の行動。リサーチ、デザイン、ブランディング、広告はその一部。

 

■“先生”のセミナーが役に立たない2つの理由

at seminar

 

理由その1 : リアリティーがない

ブランディングのセミナーを聞きに行ったことがあります。大学の先生曰く…

日本で一番高い山は?  そう富士山ですね。
日本で一番長い川は?  ご存知、信濃川。
ではそれぞれの※2番目は? ね、出て来ないでしょ。だから一番に想起されるものにならなくては! という論法。
(※ 正解は北岳、利根川)

ブランディングの定義上間違ってはいませんが、今ここで、この地域に於いて言うべき事なのでしょうか。

岡山県北の田舎です。日本で一番なんて何も無い(失礼)。その人々がそれでもオラが地域にも誇れるものがあるんじゃなかろうか、ブランドになるものがあるんじゃなかろうかと微かな期待を持って臨んだセミナーで、初手からこんな事を言われたら暗澹たる気持ちにもなるでしょう。そもそも人の努力で如何ともし難い事を例えに出してどうしますか。

地方でブランディングを説くならば、二番目三番目、あるいは最下位は最下位なりの戦い方がある事を授けるべきでしょう。
大雑把に言えば 1.上位者の真似をしない。2.自分の足元に埋もれているお宝を掘り興す。3.欠点を長所に変える方便を考えてみる。 これが弱者のブランディングです。

お偉い先生方はこれらを「ランチェスター戦略」とか「ニッチマーケット」と呼んで飯のタネにしますが、真っ当な商売をしている人なら当たり前にやっている事です。

すべからく教科書に書いてあるような事を得々として語る先生のセミナーは旧態依然。ここ数十年脈々と続いてきた地域活性化会議、特産品開発講座、ブランディング講義…結果が伴っていますか? QOLが向上しましたか?

御用学者やお抱え先生の言葉を鵜呑みにしてはならないのは3.11で学ぶべき事のひとつです。

ではどうすれば良いのか…

受け手側の問題として「有り難いオハナシと自分の暮らす世界は別のもの」という意識があります。これが2つ目の理由。

失礼を承知で“セミナー馬鹿”と呼んでいますが、勉強しすぎて足が止まっている人達がいます。人の意見を聞き過ぎて自分で判断する事が出来なくなってしまった人達。聞いただけで解ったような気になる、出来たような気がするetc
セミナーや教科書は自分の行いが正しいのかどうかの確認書です。行動無しには判断のしようが無い。

やりたい事があればなりふり構わずやってみれば良いじゃないですか。松下幸之助はどうです? 本田宗一郎はどうでしたか?

世の中不確定要素ばかり。何が成功して何が失敗するか解らない時代です。その確率は限りなく50/50に近い。ならば己が信ずるものに賭けてみたら如何でしょうか。志の強い方へ運も人も味方します。

セミナー内容に一部分でも共感する部分があったならまず自分の事として落とし込みやってみる事が肝要でしょう。そこでつまずき失敗したときに請うアドバイスは金言となり確実に貴方の財産になります。
つまり問題意識が芽生えた時にしか他人の言葉は骨身に沁みないと言う事です。平和ボケした耳は大切なものを聞き逃してしまいます。

まとめ:問題意識を持つ。四の五の言わずやってみる。

 

■ 地域産品開発のヒント 現場の声

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毎年ビッグサイトで開催されるFood Show や Gourmet & Dining Style Show、時代の空気を読むために欠かさず行っています。地元岡山からも多くの参加者があります。

瀬戸内海に面した町から「藻貝の佃煮」を開発したので感想を聞かせて欲しいとの依頼を受けました。
おお、旨そう! でも醤油味が濃くて藻貝の味が… 「なんでこの味付け?」と問うたところ「関東では濃い味じゃないと売れないんです…」 で、結果、売れてない(苦笑)。

良くある勘違いです。間違いの根本は、地域生産者が “大手メーカーまたは販売ターゲット域の味が正義だと思っている”事です。
田舎から都会に出て行く意義はどこにあるのでしょうか。生産量も限られているので高額商品にならざるを得ない、しかも味はそこらのスーパーに並んでいるものと同じ。これでは勝負になりません。ブランド品と同等かそれ以上のイイモノ(物質的なものと情報、文化)を持ちながら自ら好んで厳しいマーケットに飛び込んでしまっている悲しい現状があります。

大手百貨店のバイヤーから言われました。

「東京で一発当ててやろうと思った時点で負け。失礼ながら、より“美味しいもの”がここには沢山あります。東京ではファンを獲得してください。そしてその後は直接やり取りして頂いて結構です」。

春先、小さなフードパックで“若竹煮”や“菜の花のおひたし”がかなりな高額にも関わらず売れて行きます。
「そうか、小分けにしたほうが良いんだな」と商売人は考えるでしょう。もう一歩踏み込んでその先を想像してみてください。

一人暮らしのダイニング。買って来たパックから小鉢に移し、誰に言うでも無く 「いただきます…」とつぶやき“若竹煮”を一口。暫し目を閉じて旬を噛み締め季節を感じ、そして故郷を想う…。寂しくて愛おしいLDKの光景。

彼、彼女達に我々地方に暮らす生産者は何を届けるべきなのか。

高いから売れない、のでは無いのです。価値を感じないから買わないのです。もっと言えば、生産者が持てる価値ある情報が正しく届いていない(届ける努力をしていない)からなのです。

地方ならではの食材と食し方、それは“食文化”そのもの。 「私達はこんな食べ方をしています」、それが成熟市場に紹介すべき情報であり、大手メーカー品には無い商品価値であり、愛すべき田舎者の強みなのです。

自分の生まれ育った土地に誇りを持つ。この姿勢で真摯にもの作りすれば上記の問題は全て解決できると確信しています。

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